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Rogi オタ ワールド! blog

ようこそ!Federer Expressことロジャー・フェデラーにハマったonmのblogです。
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Rogiオタ&フェデラーオタへ オススメ記事
MTFに数週間前にSportsIllustratedで掲載された素晴らしい記事をファンの方がタイプしてくれていました。英文ですご〜く長〜い記事ですがRogiオタ必読だと思います。#1552〜1555です。ちょっと脚色も入っている気もしないではないケド、私は当時の事も思い出しホントまじ感動しました。超おススメでっす!
<10/6追記>
ココにその全文(英文)を載せたページをつくりました。

皆さんには原文の方を読んで貰いたいのが私の本心ですが、英文読むのが全然苦じゃない人か、よっぽどのRogiオタじゃないとタイヘンだと思うので、以下その記事や他の記事も少し引用しつつ、私なりにまとめていました。まとめたと言っても元が長〜いので、長い文章になっています。

2003年ローラン・ギャロスでロジャーが一回戦負けを喫した時ブラッド・ギルバートはロジャーのことを"誇大広告"と称しました。ロジャーはジュニアの頃から専門家達からもその才能ゆえに大きな期待がかけられていました。しかしグランドスラムでは準々決勝止まり、マスターズシリーズでもまだ1勝しかしていず、実績では目立ったものが何もない、その現実を風刺してそう言ったのでした。また他の人々も" He will never make it"と言い始め、彼自身も過大な期待はしないでくれとマスコミに頼みました。
彼が今のような何事にも動じないようなタフなメンタルを手に入れた紆余曲折がこの記事には載っています。


ロジャーが10歳の頃から指導を受けていたピーター・カーターはオーストラリア人で、ヒューイットが少年の頃そのタフネスぶりに「ピーター・カーターのようだ」と言われたことがあるように、タフな素晴らしいプレイヤーでした。しかし度重なるケガで引退をやむなくされ、バーゼルのロジャーがいたテニスクラブにコーチとしてやってきたのでした。そんな経緯から彼はとても思いやりのある穏やかで立派な人物でした。

私はロジャーの友人でもあり、信頼し兄のように慕っていた恩師・ピーター・カーターが交通事故で亡くなったことにショックを受け、ロジャーのその様子が"トラウマティック"精神的外傷を受けたようだった、という内容を別の記事で読んだことがありました。しかも、昨年トロント優勝の翌日に目にしたまた別の記事で、その南アフリカの事故は、ロジャーがピーター・カーターに南アフリカへの休暇旅行を強く勧めたその旅先で起こったものだったと知りました。
もちろん事故はロジャーの責任ではありません。が、自分さえそんな提案をしなければと自責の念が毒のようにロジャーを廻ったことでしょう。
ピーター・カーターは彼の妻が重い病気からの回復祝いも兼ねて一緒に旅行に出かけ、彼女の誕生日の翌日に彼女の目の前で彼女を残して亡くなったのでした。私はそんな彼女を目にしてさらにロジャーは傷ついただろうと想像します。
私は"トラウマティック"と書かれていたそのほんとの意味を知り胸が潰れそうでした。そして'04年トロントの優勝カップを掲げる穏やかな笑顔の下にピーター・カーターを想う切ない気持ちもあったことを知りなんとも言えぬ気持ちになりました。参照:y-bbs

彼はこの訃報を'02年トロントの夜のバーで聞いたそうです。翌日ダブルスの試合があるというのに・・・その時のロジャーはまだまだ未熟な20歳の若者でした。彼はそのショッキングな知らせを聞き、ホテルに戻るべく店を飛び出しタクシーを捜しながら不慣れなトロントの夜の町を1マイル(約1.6km)は走ったそうです。その姿はまるで狂ってしまったかのようでした。ホテルに戻ったロジャーを見た人は「彼がその時どんなふうであったか、口で説明するのは難しい・・・壊れてしまってたようだった」と言っています。。

1週間後、ピーター・カーターの亡骸がバーゼルに着いたその日は、ロジャーの21回目の誕生日でした。ロジャーは少年の頃からピーターに、試合中ラケットを投げるな、きたない言葉を使うな、冷静になるんだ、と言われ続けていました。でもどうしても内なる感情の波に押されコントロールすることが出来ず、自らおかしくなって試合を落とすことが多々ありました。
ピーターの亡骸を前にして、ロジャーは葬儀で自分の最初のグランドスラムをピーターに捧げると泣きじゃくりながら述べたそうです。

しかしそうは言っても直ぐには勝てませんでした。その直後の全米('02)では4回戦敗退(対ミルニー)。翌年('03)全豪も4回戦敗退(対ナルバンディアン)。全仏に至っては初戦敗退(対ホルナ)・・・
そして巡ってきたのは'98年にピーターと一緒のジュニアチャンピオンを勝ち取ったウィンブルドンでした。
私は'03年ウィンブルドン準決勝で始めてロジャーのプレーを見てその存在を知ったのですが、優勝セレモニーで彼が感謝を述べようとした時に思わず溢れ出た嗚咽に私はものすごく揺さぶられたのを覚えています。準決勝、決勝でクールでクレバーで非情とも思える完璧なテニスをした彼ですが、ホントはとてもエモーショナルなそしてよく言えば控えめで悪く言えば弱さを持つ青年なのじゃないかと私は思いました。そして気がつけば彼のあらゆる情報を求めネット上を流離うRogiオタになっておりました。。
そしてまた今日この記事を読んでなぜあれほど私は"揺さぶられた"のかなんだか改めて分かったような気がします。。

その後'03年デビスカップ準々決勝、(それはオーストラリアとスイス、2つの国のテニスへの献身を称えピーター・カーター・メモリアル・カップでもあったそうです。)ロジャーはヒューイットと対戦し2setsアップ、それも第三セット5-3からのとても痛い逆転負けを喫してしまいます。

ウィンブルドンに勝った日の翌朝Rogiはカーター一家に電話をしました。タフな試合中にどれだけ頻繁にピーターのことを思い浮かべたか、そして勇気づけられたか彼らに告たのだそうです。
ヒューイット戦の後ロッカールームですすり泣くロジャーにピーターのご両親はやさしく声をかけたそうです。彼らはこう言いました。
「ロジャー、僕らには見えたよ、君のテニスの中に僕らの息子が生き続けているのを・・・僕らが君を応援している時、それはまるでピーターを応援しているかのようだった・・」

その時ロジャーはとても強い感動/感激/感銘を得たそうです。後々振り返りそれは彼にとってとても多くを意味する大切なことだったと述べています。ロジャーの心の傷が癒された瞬間だったのかもしれません。
ピーター・カーターのご両親にとってもRogiの成功は、彼らの末の息子ピーターがこの世に生を享けて彼が成してきたことの具体化されたものとして生き生きとその姿を思い起こさせるものなのでした。
ピーターの父親であるボブさんはこう言います。"We're rooting for Roger, We feel part of his team."

そしてロジャー本人が後に"ターニングポイント"と呼んだまさしく転換期ががやってきました。場所はヒューストン。
ロジャーは記者から会場の印象を聞かれ、悪気なく穏やかに言った感想(思ったよりこじんまりしてる、ということと、コートが少し波打っているように感じる)を記者がどのように伝えたのか、トーナメントチェアマンのマットレス・マックことジム・マッキンベイル氏がそれを聞いて激昂しロジャーに対して毒づいてきたそうです。(私の記憶ではフェデラーとシュットラーが何かに対し非難した、という見出しの記事があったような・・・)ロジャーはそれは非難ではなく最初の感想で今は問題ないと思っていると主張しました。
そしてそのように混乱させられたので、ロジャーはルンドグレンに「こんな状態じゃプレー出来ない」と言って気持ちを落ち着かせるためにロッカールームに戻ってしまったそうです。(ということはWalk on間近にそんなことがあったのでしょうか?!怒りマーク

私はあの時のラウンドロビン、アガシ戦のスタジアムを思い出します。アガシに対して圧倒的多くの声援はさておき(アメリカですから仕方ありません)、ロジャーのエラーに対して露骨な拍手や歓声、サービスの前にフォルトのシグナル音を口真似したり。。それはあのマットレス・マックが小遣い稼ぎの若者を雇ってヤラセてたんじゃないかと思うほどでした。
その時点での対アガシ戦H2HはRogiからみて0勝3敗。しかしそんなこんなを吹き払いロジャーは試合に集中しました。。

第一セットはお互い2ブレイクずつし、アガシがタイブレークの末このセットを取りました。第二セットはロジャーのバックウィナーが炸裂し危ない場面もあったものの3rdと9thをブレイクし6-3でロジャーが取り試合はファイナルセット突入します。
ファイナルセットはお互いキープし合った8thアガシサービスでRogiブレイク!しかし次の9thフォースドエラーを含む3つのエラーとダブルフォルトでブレイクバックを許しまたまたタイブレーク突入!以下ポイントを書き出してみました。
Rogiサーブ。
1-0アガシ (アガシのパッシングウィナー)
アガシサーブ
2-0アガシ (Rogiのショットアウト)
2-1アガシ (アガシのエラー)
Rogiサーブ
3-1アガシ (Rogiのダブルフォルト)
3-2アガシ (アガシのショットがネット)
アガシサーブ
3ALL (アガシのダブルフォルト)
チェンジエンド、アガシサーブ
4-3アガシ (アガシのサービスウィナー)
Rogiサーブ
4ALL (Rogiのフォアウィナー)
5-4Rogi (Rogiの2ndサーブエース)
アガシサーブ
5ALL (アガシのフォアウィナー)
6-5アガシ (アガシのパッシングウィナー アガシ MP#1)
Rogiサーブ
6ALL (Rogiのサービスウィナー)
7-6アガシ (Rogiのショットアウト アガシ MP#2)
アガシサーブ
7ALL (Rogiのフォアウィナー)
8-7Rogi (アガシのショットアウト Rogi MP#1)
Rogiサーブ
9-7Rogi! geme, set & match FEDERER!! (Rogiのフォアクロスパッシングウィナー

マットレス・マックことジム・マッキンベイル氏がロジャーに口撃をしたというのは知っていたけれど試合の当日だったとは私は知りませんでした。また、私が知ったのは最終日の翌日にMTFで真相を知ったわけで参照:y-bbs大会中のRogiはそんなことがあったとは露ほども感じさせませんでした。逆にジム・マッキンベイル氏を見て「意地悪そうな顔してるな〜」とは思いましたが・・

その試合以後あのタフなブルーグループ全勝1抜けで準決勝に進み、ロディックをストレートで下し、reMatchとなった決勝戦のアガシ戦でもRogiリードでの雨中断がありながらも集中力を持続しストレートで、TMC全勝で優勝したのでした。以後のロジャーの活躍は多くの方がご存知の通りです。

2003年のTMCでの優勝セレモニーでマットレス・マックことジム・マッキンベイル氏は、ほとんどRogiを無視したスピーチで、なんかすっきりしないものだったのですが、'04年はとてもハッピーな楽しいものになりました。
バド・コリンズの楽しいインタビューのおかげもあったと思いますが、私が愉快に思ったのはマットレス・マックが「ここで彼は8人のトッププレイヤーに対し10戦全勝だ!」とRogiのこのヒューストンでの偉業を称えたことです。
でもこれには伏線がありました。Rogiとガウディオの試合の後にコーチは探しているのかい?という質問にロジャーは冗談で「ジムに頼んでみようかな」と言ったそうです。きっとジム・マッキンベイル氏のテニス振興における彼のサポートに感謝する意味も含まれていたのじゃないかと思います。そして優勝セレモニーでもRogiはスタッフ達の労をねぎらった後にすごく穏やかなやさしい声でジムと彼の奥さんに感謝の意をこのように述べました。
"Jim, Linda, you did great job this year also last year,(拍手&ホイッスル) this year is even better, congratulations!"(大きな拍手!Rogi少し照れる)
みんな昨年Rogiが受けた仕打ちのことは新聞TV等で知っていたので(新聞でもマッキンベイル氏はRogiに対しての態度で批判を浴びていた)このRogiの寛大な態度に拍手を送ったのでした。彼の素晴らしさはテニスプレーにだけに限ったことじゃないとその場にいたテニスファンは感じたと思います。
ここまでされてはジム・マッキンベイル氏もいい人になるしかないではありませんか!
その他のセレモニーでの楽しいやりとりは「テニをはまるまるムし」さんのブログに載ってますのでそちらをどうぞ。

長々と書いてしまいました。最後まで読んでくれたかた、どうもありがとう。
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